2019.02.18
“HK field”キックオフセールレポート
こんにちは!ハヤカワ一筋22年 サッカーを通じて地域NO1を目指し
歩く一人モレリアステーション(ミズノ)と呼ばれたわたくし。
なぜ、歩くモレリアステーションと呼ばれたのか?
ロアッソ(ロッソ)熊本の立ち上げ、それ以前(NTT熊本)からの関わり
PUMA様との連携をからませた、現在の至る物語を語る。
県内最年少2級審判取得からのレフリー目線!
さまざまな視点からスポーツの原点にたどり着く。
今回は、審判を志した中2のあの日からを振り返ります。
当時、中学校の監督(元2級)から、今後、熊本で国体、インターハイが開催される。
2級審判が少なく、開催地としては、なるべく地元で対応したい、審判員の確保が急務
サッカ-をやりながら、やってみなさい。とアドバイスされ、特に何も思いもなく
なんとなく、はい。
この日から、自分の試合 その後審判と中学生にはハードな日々。
中3の春に4級試験をパスし、無事に取得。
高校に入学後に3級取得。国体を翌年に控えた前年に19歳で2級昇格。
当時の2級試験は、筆記、体力、実技。
体力テストが一番のネック
50m クーパー走2700m(12分間走)
選手が走るのだから、近い位置で串刺しにならず、角度をつけて
実技では、走りの指導も受ける。
笛の強弱。現在は、体力測定方法も様変わりし、サッカ-の進化に合わせて、
変化、対応している。
近年、ユース審判の登用もあって、高校の現場に居合わせる事が多い自分
彼らは、何かを得ようと、毎試合、アドバイスを求め、キラキラ
1級 Jリーグの審判を目指す、ギラギラ
現役審判を引退し、審判を指導する側にも資格取得が必須。
現役時代、自称 省エネレフリーの私が、現役の選手に走って走っては失礼。
審判を目指す形はそれぞれ。
しかしながら、私の影響で会社の後輩、チームの後輩がそこを目指し、2級取得。
少しは貢献できたかな?
数多くの試合に係り、経験を重ねる。
自分なりに手ごたえがあった試合では、終了後の握手でわかる。
時に厳しい反省会もまっているし、仕事をするうえでマイナスになる可能性もある。
それでも、審判がいて試合が成り立つ。前での先生の一言がいまでも
いつまでも心に残る。これからも。